日本では1980年代に、個人金融資産の増加や国外との相互依存関係の深まりなどを背景に、金融の自由化が進みました。
10億円以上の定期預金から金利の自由化が始まり、直接金融が盛んになっていきます。もともと戦後の日本では銀行により融資を受ける間接金融が主流だったのですが、企業は新株発行により資本金を増やし、株券に転換できる債権(転換社債)を発行するようになります。
こうした新株の発行を伴う資金調達をエクイティファイナンスといいます。
金利の自由化
金利の規制は戦後の経済成長に貢献しましたが、経済構造の変化に伴い、1970年代後半以降、金利の自由化が進みました。
金融機関ごとの業務の枠の緩和
金融機関は業態ごとに業務が限られていたのですが、証券取引法などの改正により、銀行・証券会社・信託がそれぞれ業態の異なる子会社を設立できるようになりました。
国外の金融機関の参入
外国の金融機関が日本で活動することは規制されていましたが、自由な参入が認められるようになりました。
この流れで欧米の金融機関が東京に支店を持つようになったのですが、このことは都心の地価を高騰させるバブル経済の一因になったとも言われています。
デリバティブの市場の拡大
日本の金融市場の国際化に伴い、取引所でデリバティブが扱われるようになりました。
金融ビッグバン
金融ビッグバンとは、1996~2001年にかけて行われた規模の大きい金融制度の改革のことを指します。東京市場をニューヨークやロンドンのような国際市場とすることを目指して行われました。
第二次橋本内閣が提唱し、改革案の柱は
- フリー・・・市場原理が機能する自由な市場に
- フェア・・・透明で公正な市場に
- グローバル・・・国際的で時代を先取りする市場に
というものでした。いくつかは既に上述していますが、具体的には以下のような感じです。
- 外為法を改正して、一般企業でも外貨を自由に取引できるようにした。個人でも外貨預金が可能になった。
- 金融機関の業態ごとの垣根を取り払う方向に進んだ。銀行は証券業務を、証券会社は銀行業務に参入できるようになってきています。保険業界でも、一社で各種保険を取り扱うようになりました。
- 間接金融⇒直接金融に。 銀行からの融資ではなく、株式や社債による資金調達の方法が盛んになります。個人も、ただ貯金するだけでなく投資信託や株を利用した資産運用を積極的に行うようになってきています。