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Friday, August 18, 2017

ポツダム宣言と占領下の日本

ポツダム宣言1945年7月26日、アメリカ、中国、イギリスの首脳が日本に向けてポツダム宣言を発しました。

内容は以下のような感じです。

  • 日本国領域内諸地点の占領
  • 日本の主権は、本州、北海道、九州、四国および我々が決定する諸小島に限る
  • 全日本軍の無条件降伏

日本政府はポツダム宣言の受諾を望んだものの、天皇制の是非についてその見解が連合国側で定まっておらず宣言内に言及されていなかったことから、政府内で激しい議論が巻き起こり、当時のマスコミは体制の維持と戦争の続行を煽る激しい口調の記事を書きました。結局ポツダム宣言は黙殺されることになります。

しかし、8月6日に広島市に原子爆弾が投下されます。続けて9日には長崎市に投下され、空前絶後の被害がもたらされます。

しかも同日に、ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄、日本は突然「対ソ防衛戦」を余儀なくされます。(満州における日本の軍事力が著しく弱っていく一方で、ドイツ軍の敗退でソ連に余力が生まれたという背景があります。)ヤルタ会談(密約)において、アメリカがソ連に対日参戦を促しソ連がそれにこたえたというわけです。

日本政府は8月9日、国体の維持を条件にポツダム宣言の受諾を決め、10日、連合国に通告します。アメリカ政府は「降伏時以降は、天皇及び日本の国家統治の権限を連合軍最高司令官に従属すること」と回答(バーンズ回答)

8月15日の正午に日本政府はポツダム宣言の受諾と終戦の旨を国民に発表し、翌日軍隊に停戦命令が出されます。(宣言受諾後も、ソ連・中国との間で戦闘が続きました。日本軍の残党と中国軍・アメリカ軍の小規模な戦闘も。)

ポツダム宣言には言論の自由の確立など国民の自由と平和がうたわれていましたが、実際にはGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)により検閲が行われ、言論統制が行われました。

占領下の日本

大戦中、連合国は日本の分割統治を計画していました。(東京は、アメリカ・中華民国・ソ連・イギリスによって、近畿地方はアメリカ・中華民国で共同統治といった格好)

しかし実際には天皇を利用したほうが統治が容易であるなどとして、日本政府を通じた間接統治が採用されました。結局、国家としての日本は残ることとなり、連合国の傀儡国家という状態になります。

領土の剥奪

台湾、朝鮮、南洋群島、関東州を失い、南樺太・千島列島が占領されました。

日本は大戦中に東南アジアを占領していた連合国(イギリス・オランダ・フランス・アメリカ)を追い出し代わりに統治していましたが、日本が敗れ、東南アジア諸国は再び連合国の植民地にに戻りました。

※しかし、日本の教育を受けた勢力もしくは抗日の独立指導者らによって各国で独立宣言が行われました。結局、宗主国との戦争を経てほとんどすべての国が独立しました。

財閥の解体

連合国側は、財閥が日本の軍国主義を制度的に支援したと考えていました。財閥を解体することで日本軍を根本的に壊滅させられるとの認識だったようです。大戦以前の資本化勢力を除去し、経済民主化を目的としました。

当時産業界を支配していた三井・三菱・住友・安田は解体され、多くの新しい企業が生まれました。

内容としては以下のようなものです。ただし、一部の財閥は後に元の形に戻りました。

  • 持株会社所有の有価証券、及びあらゆる企業に対する所有権・管理・利権を示す証憑(取引が行われたことを証明する書類)を、日本政府が設ける機関に移管する
  • 上記移管財産に対する弁済は、10年間の譲渡・換価を禁じた登録国債で支払う
  • 三井、岩崎(三菱)、住友、安田4家構成員、持株会社取締役・監査役の産業界からの追放
  • 持株会社は傘下企業に対する指令権・管理権の行使を禁止

(引用:ウィキペディア)

農地改革

農地改革は1947年、GHQ下で行われた政策で農地解放ともいいます。もともと日本政府はこの改革をやりたがっていたようです。地主たちの反発が大きすぎてできなかったことを、GHQ下にあることを利用して実行したというのが実情のようです。

農地改革により、政府は地主の農地を強制的に激安で買取り、小作人に売り渡しました。これは全国で行われ、7割の農地が地主から小作人に移りました。

この政策によって、日本共産党を支持していた多くの貧乏な小作人たちは保守系の政党を支持する自作農となり、共産党の理想郷を待つ必要がなくなりました。結果、共産党はその力を大きく失うこととなります。

農地改革により多くの農地が小作人のものになったことで、大規模営農ができなくなったという側面もあります。これにより、日本の農業は根本的に国際競争力をもてない構造に変わったとも言われています。

労働三法の制定

労働三法とは以下の三つの法律のことです。いずれの法律もそれまでの体制では実現が困難であったといわれています。

  • 労働基準法(強制労働の禁止、中間搾取の排除、労働者と使用者の立場を対等にするなど)
  • 労働組合法(労働組合の結成、使用者との団体交渉、ストライキなど労働争議に対する刑事上または民事上の免責要件など)
  • 労働関係調整法(大規模なストライキやロックアウトが発生して社会に影響を与えるような場合、労働委員会で裁定を行う)
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