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Monday, April 24, 2017

新保守主義(ネオコン)の台頭と円高不況

新保守主義(ネオコン)と新自由主義(ネオリベ)

ネオコン1980年代から、新保守主義(ネオコンサバティズム、通称ネオコン)が台頭するようになります。代表的な政権はイギリスのサッチャー政権、アメリカのレーガン政権、日本の中曽根内閣です。

新保守主義とは、行政サービスや社会保障を民間に解放してできるだけ削減し、効率を優先、小さな政府を目指す方向です。対外的には主権侵害に対しては武力介入も辞さない態度を取ります。とくに小さな政府や民営化、大規模な規制緩和、市場原理主義などの経済思想は新自由主義(ネオリベラリズム、通称ネオリベ)と呼ばれます。

新保守主義と新自由主義は字面だけみると対義語のように見えますが、新保守主義は広義の政治的スタンスを意味するもので、新自由主義は経済思想に特化した表現といえます。たとえば中曽根政権や小泉政権はネオコンであり、ネオリベ政策を推し進めました。

昨今では、ネオリベとか市場原理主義という言葉は非常に評判が悪く、聞いた瞬間に親のカタキのごとく拒否反応を示す人も多いようです。 過去政権の功罪については未だにさまざまが議論が行われており、テレビ番組の司会者でさえ自らのイデオロギーを背景に話を推し進めるので、問題が非常にややこしくなりやすく、注意が必要です。

レーガノミックス

70年代の二度のオイルショックによって世界は不況が同時に進行し、先進各国はその打開策を見出せずにいました。スタグフレーション(インフレ下での不況)は、従来のケインズ政策ではインフレが進み、金融引締めをすると不況が悪化するというやっかいなものだったからです。

そんな中アメリカのレーガン大統領は、レーガノミックスと呼ばれる一連の経済政策を取りました。

1981年カーター政権に代わり、レーガン政権が発足、レーガン大統領は前政権から受け継いだスタグフレーション状態からの回復のために、インフレの抑制と失業率の改善を主眼とした政策を推し進めます。

レーガン政権は、金利の引き上げなど厳しい金融引締め政策を行いインフレを克服。さらに福祉予算などの歳出を削り財政赤字の縮小、大幅減税に踏み切ります。公共部門は縮小し、民間企業の活性化を図りました。

結果

高金利政策はドル高を招き、ドル高は輸出の減少、輸入の増加を促進させました。結果、インフレ率は低下したものの財政赤字、貿易赤字は深刻に。経済成長は低迷し、失業者数は戦後最悪となります。

1984年、失業率は低下し景気は回復の兆しを見せましたが、貿易赤字は拡大し続け、日本やヨーロッパの経常黒字は大きくなってしまい、レーガン政権は批判を浴びました。

いっぽう、日本の中曽根政権では「行政改革」が行われ、内容的にはレーガン政権と似ており、医療や年金などの社会保障費を削減、受益者負担の増額が行われました。また、国鉄はJRに、電電公社はNTT、専売公社はJTに民営化されました。

プラザ合意

レーガン政権の金融引締め政策の流れで金利は二桁に達し、世界中の通貨はアメリカに集中、ドル高となります。その後、インフレが沈静化すると金利は低下、また貿易赤字が深刻になっていたためドル需要は下がり、ドル相場は不安定になります。

1985年、先進各国はニクソン・ショックのような出来事の再発を恐れて、協調的なドル安に誘導することで合意します。この合意は、もっとも懸念されていたのが対日貿易赤字だったことから、おもに円高ドル安に誘導する内容だったようです。

プラザ合意の発表の翌日、米ドルは1ドル235円から約20円下落し、翌年には120円台で取引されるまでになりました。

円高不況(1983~1987)

日本は円高により不況となります。輸出中心の中小企業はこの不況でとくに苦しみました。

輸出中心の経済国である日本は円高になると為替差損が増大し、利益が減少した企業は社員の給与の減額や、商品の価格の値上げなどに転嫁します。結果、国内需要が減少し不況へと向かうというのが円高不況の構造です。

1986年あたりから政府主導で超低金利政策が採られるようになり、これらの不況対策により状況は好転していきます。

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