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Wednesday, June 28, 2017

サンフランシスコ講和条約と神武景気

サンフランシスコ講和条約(日本国との平和条約)

サンフランシスコ講和条約サンフランシスコ講和条約とは、1951年9月アメリカのサンフランシスコ市にて連合国と日本の間で結ばれた条約で、正式には日本国との平和条約といいます。

1945年に日本はポツダム宣言を受諾し、降伏文書に署名していましたが、それ以降も戦争状態は継続していたという扱いでした。

このサンフランシスコ講和条約の発行によって、国際法上、日本と連合国の間の戦争状態は完全に終結したとされます。これによって日本国民は完全に主権を回復したと連合国によって承認されました。講和の内容の要旨は以下のとおりです。

  • 戦争状態の終了
  • 日本国民の主権回復
  • 朝鮮・台湾の独立および権利の放棄
  • 南洋諸島などの領土・権利の放棄
  • 賠償は役務賠償とし、賠償額は個別交渉(役務賠償とは、労働力の提供などの形で賠償することです。ただし、戦争被害に対する補償とは呼べないホテルやリゾート建設など、ヒモつき援助だったという批判もあります。※結果的に日本のアジアへの経済進出につながったため)

当時の吉田茂首相は、朝鮮戦争が勃発したタイミングを[有利な講和を結ぶチャンス]だと考え、秘密裏に外務省に講和条約のたたき台を作らせたそうです。

経済交渉という建前で講和条約案を持たせた池田勇人をアメリカに送り込み、講和締結の促進を図ったとされています。

ちなみにソ連と中華民国はこの条約に調印していません。アメリカは当時、中華民国(後の台湾)の蒋介石を中国代表としていたのですが、ソ連は中国共産党(中華人民共和国)をバックアップしていたという背景があったためです。

神武景気(じんむけいき)

神武景気は、1955年~1957年、日本が経験した爆発的な好景気です。、朝鮮戦争による特需で日本経済が大幅に拡大されたことにより発生したとされます。

これによって日本経済は第二次世界大戦前の水準に回復し、戦後復興は完了しました。(1956年、経済白書に「もはや戦後ではない」と記されました。)

衣料製品は綿などの天然繊維から、ナイロンなどの合成繊維の開発による新商品が急速に売れるなど、消費も質的な変化を遂げます。三種の神器(冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビ)という言葉が流行し、大衆消費社会が幕を開けます。

ボトルネック現象

民間の生産資本の増大テンポが早まると、今度は社会資本の拡充テンポが追いつかなくなりました。国鉄の貨物輸送力不足が目立つようになり、輸送道路の整備が遅れ、港では船が混雑、荷役能力の不足などが次々と表面化し、通貨も滞るようになります。

また、好景気による輸入増加で当時の少ない外貨準備(約20億ドル)はたちまち減っていき、外貨危機が訪れます。そのため政府は金融引き締めなどの景気抑制に移らざるを得ませんでした。(当時のこうした好景気の限界のことを国際収支の天井と呼びます。)

そして景気は減退していきました。(ただし、不況はそれほど長引きませんでした)

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