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Thursday, March 30, 2017

傾斜生産方式とドッジ・ライン

闇市第二次世界大戦中の本土爆撃により、日本の都市の多くが焦土と化しました。

戦後は、駅周辺や人通りの多い広場の焼け跡に自然と闇市が開かれるようになります。闇市ではふかし芋や毛布、手袋やロウソクなどあらゆるものが売られました。

配給制がなくなると、都市の住民たちは農村へ行き、衣料などと食物を物々交換し、その日暮らしの生活を送ります。

日本政府(第一次吉田茂内閣)は、経済の復興のために傾斜生産方式を採用しました。

傾斜生産方式

1946年、吉田茂内閣によって傾斜生産方式が実行されました。(この政策はマルクス経済学の再生産表式をヒントに考案されたといわれています。)

傾斜生産方式とは、限られた資源と資金の配分を市場に任せず、計画的なものにすることで産業成長を速めることを目的とした政策です。

  1. 重油の輸入
  2. 鉄鋼を増産
  3. 石炭の増産(炭坑への鋼材の傾斜投入)
  4. 今度は再び鉄鋼を増産(石炭投入)
  5. この繰り返しで、石炭と鉄鋼の生産を相互循環的に増大させる

これによって縮小再生産を食い止め、日本経済に拡大の循環リズムをつけました。そして、さらにその効果が化学肥料やコメの増産など他の産業に波及するように、政府は補助金などで支援しました。

この政策は片山内閣にも引き継がれ、戦後すぐの混乱状態にあった日本経済は復興のめどを立てることができましたが、その後過剰な資金投入を生みインフレが加速してしまいます。

このインフレはモノ不足という背景も手伝って、かつてのドイツの深刻なインフレを思わせる勢いで進みました。

ドッジ・ライン

1948年、マッカーサーは吉田内閣に対して9原則の実施を要求しました。

  1. 急速に予算の均衡を図ること
  2. 徴税計画の促進強化
  3. 資金貸出を日本経済復興に寄与するものだけに厳重制限すること
  4. 賃金安定策の確立
  5. 現在の物価統制計画の強化
  6. 外国貿易管理の運営改善と外国為替管理の強化
  7. 特に輸出増大の為の物資割当および配給制を改善すること
  8. 全重要国産原料および製品の生産増加
  9. 食糧集荷計画の改善。

1949年、GHQの経済顧問としてデトロイト銀行の頭取であったジョゼフ・ドッジが来日し、財政金融の引き締め案を立案します。この案をもとにした金融引き締め政策をドッジ・ラインといいます。

ドッジは当時の日本経済を竹馬経済と評し、片方の足はアメリカの援助、もう一方の足は日本国内の補助金と例えました。援助額や補助金の額を上げる、つまり竹馬の足の高さを上げすぎると転んでしまう危険があると例えたのです。

ドッジ・ラインの内容は以下のとおりです。

  • 緊縮財政や復興金融公庫融資の廃止による超均衡予算
  • 日銀借入金の返済など、債務返済優先
  • 複数為替レートの改正。1ドル360円の単一為替レートに。
  • 戦時統制の緩和と自由競争の促進

結果としては、インフレは収まったものの今度は国内需要や輸出が停滞、そしてデフレが進行することになりました。

失業や倒産が相次ぎ、ドッジ不況といわれる安定恐慌に入ってしまいます。(東証の平均株価は史上最安値の85.25円を記録)

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