いざなぎ景気と高度経済成長の終焉

高度経済成長東京オリンピック後の証券不況を受けて、1966年、日本政府は戦後初の赤字国債発行に踏み切ります。

そして景気は回復し始め、いざなぎ景気がはじまります。

いざなぎ景気

いざなぎ景気は、1966~1970年にかけての好景気です。

トヨタカローラや日産サニーなどの低価格で性能の優れた自動車が発売され、マイカーブームが始まり、東京オリンピックをきっかけにカラーテレビの普及率が一気に高まります。

3C(car[自動車],cooler[冷房],colorTV[カラーテレビ])という言葉が流行し、所得水準の上がった庶民の需要が大幅に伸びて景気を支えていきます。(3Cは新・三種の神器とも呼ばれます) ベトナム特需(1960年代後半~70年代前半のベトナム戦争によって発生した需要)なども手伝って、日本のGNPは先進国を一気にごぼう抜き、世界第二位の経済大国にのし上がります。

それまでの好景気は、国際収支の悪化(輸入超過)により外貨準備が減少するため、金融引き締めなどの景気抑制政策が必要でした。(国際収支の天井)

いざなぎ景気では、輸出による大幅な貿易黒字により国際収支の天井はなくなりました。

高度経済成長の弊害と終焉

急速に経済成長した時期を高度経済成長期と呼び、日本では1955~1973年の18年間とされます。

経済成長には戦争特需やオリンピック・万博特需などの要因がありますが、他には主に以下の理由があげられます。

  • 質が高く安価な労働力
  • 余剰農業労働者の活用
  • 貯蓄率が高い(貯蓄は投資の源泉に)
  • 円安の固定相場が輸出に有利に働いた
  • 消費の大幅な拡大
  • 安価な石油
  • 護送船団方式による銀行の信用の高さ・安定した間接金融
  • 池田内閣による所得倍増計画
  • 政府の設備投資促進策による工業用地
  • 戦時中にすでに高レベルにあった生産技術(敗戦によって再び遅れるものの、キャッチアップ)
  • 個人より集団を重んじる和の精神?(という説が挙げられた時期もある)

経済成長の弊害

経済成長のスピードは目を見張るものがあったのですが、あまりにも早いとその速度に社会インフラなどの整備の追いつかないといった弊害があります。

たとえばマイカー時代になったのに道路網の拡充が追いつかず、交通渋滞がひんぱんに起きたり、交通事故被害件数が急激にに高まったりしました。

また、名目所得があがったものの、土地の値段がそれを上回る率で上がったため、多くの給与所得者は遠隔地郊外に居を構え、満員電車・通勤地獄というパターンができてしまいます。さらにGNPの拡大に比例して産業廃棄物が増大、日本各地で公害が噴出、水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくなどの公害病問題が深刻化しました。

日本の輸出が増大すると、その大口の顧客であるアメリカの国際収支は赤字化、貿易摩擦が激しくなります。これは後のニクソン・ショック(1971)につながり、結果日本の国際競争力の急激な上昇は抑制されました。

1970年3月の大阪万博が終わると、景気後退色が明らかになります。公定歩合が三度引き下げられ、公共投資も行われましたが景気は回復せず、民間設備投資・住宅投資は落ち込みます。

1971年のニクソン・ショックによる円の切り上げは国際収支の過度な黒字を抑え貿易摩擦は一時的に収束しましたが、1973年に第4次中東戦争が勃発し原油価格が高騰したことで、オイルショックが発生、日本は戦後初の実質マイナス成長を記録します。

これによって日本の高度経済成長は終焉、安定成長期(1973~1991)へと移行しました。

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