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Friday, August 18, 2017

市民革命と民営化

市民革命近世初頭の絶対主義の時代では、領主達が領地を支配していました。封建領主たちは国王の忠実な家臣であり、国家は統一的でした。膨大な数の官僚と常備軍が編成されており、いわゆる”大きな政府”だったといえます。

当時の産業資本家(市民)は重い税金をかけられ、出入りの商人たちは手厚く保護されていたため(重商主義)、市民達は革命を起こします。イギリスのピューリタン革命、名誉革命、アメリカの独立革命、フランスの大革命などです。

これら市民革命の理念は、建前としては「自由・平等・博愛」ということになりますが、実質的にはたんに税金の安い小規模な政府を望んでい たともいえます。

市民が望んだこの安上がりな”小さな政府”は夜警国家と呼ばれます。警官が夜中に放火魔や泥棒が出ないように市中を巡回するように、政府は治安と国防という最小限のことだけをすればよいという考え方です。

経済の分野でも、レッセ・フェール(なるに任せよ=政府は何もしなくて良い)の考え方が基本であり、これが20世紀の初期まで通念として通用していました。

しかし1930年代の大恐慌は、経済にとってあまりにも深刻な事態で、政府による財政政策が必要になります。アメリカのテネシー渓谷開発計画(TVA)、ドイツのアウトバーンの建設、日本の高橋財政などは、景気に対してテコ入れの役割を果たしました。これらは政府の役割を重視したケインズの経済思想に基づくものです。

第二次世界大戦後は公共事業や手厚い社会保障によって「ゆりかごから墓場まで」の福祉国家が出来上がっていきます。高額所得者には累進課税、低所得者には手厚い社会保障が施され、社会そのものに自動安定化装置(ビルトイン・スタビライザー)が組み込まれました。これによって、日本、アメリカ、西ヨーロッパ諸国の市民は歴史上かつてない「豊かな社会」の恩恵を享受できるようになります。

しかし1970年代、2度にわたる石油危機起き、世界規模でスタグフレーション(不況下のインフレ)が発生。スタグフレーションはケインズ政策では解決できませんでした。

1980年代に入ると、アメリカのレーガン政権、イギリスのサッチャー政権、日本の中曽根政権は政府機能を縮小、小さな政府を目指しはじめます。日本では数々の国営企業が民営化されました。小泉内閣の構造改革もこの延長線上にあったといえます。

参考文献-初歩の経済学

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