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Friday, August 18, 2017

自由貿易と比較優位

比較優位国ごとに自然条件の違いや生産技術の発達レベルの違いがあり、あらゆる財の生産においてそれぞれ得意・不得意があります。

わたしたちは必要に応じて商品や労働力、資本などを国をまたいで移動させることで、国家の経済を発展させることができます。

商品が国をまたいで交換されることを特に貿易と呼びます。

自由貿易

関税など、国家の介入や干渉を受けずに自由に行われる貿易を、自由貿易といいます。重商主義下の保護貿易に対してアダム・スミスなどにより唱えられたのが最初です。

現在では、WTO(世界貿易機関)が貿易による取引のルールを定めており、より自由貿易に近い状態になるよう努力がなされています。

比較優位

比較優位とは自国の得意な財の生産に特化し、自由貿易をすれば自国も貿易相手国もお互いさらに多くの財を消費できる(得する)というものです。

自由貿易下の国際分業はお互いに利益を生むという理論であり、経済学者デビッド・リカードが提唱した理論です。比較生産費説とも言います。

比較優位に関してはアインシュタインと秘書の例がよく使われます。

アインシュタインは研究の他にタイピングなどの秘書業務も有能にこなせるとします。しかし、アインシュタインに秘書業務に専念させようと思う人はいないでしょう。雇った秘書に秘書業務を全部させて、アインシュタインは研究に専念させるべきと誰しもが考えるはずです。

同様に、仮にアインシュタインが誰よりも速く美しく掃除をこなせたとしても、掃除夫を雇った方がよいはずです。

このときアインシュタインは秘書と掃除夫に対して絶対優位にあるといいます。掃除夫は掃除がもっとも得意なら清掃業務において比較優位を持ち、秘書は秘書業務のスキルしか持っていなければ秘書業務において比較優位を持ちます。

このように、国家も自国が比較優位を持つ財の生産に特化すれば、貿易国間での生産力は総合的に増すことになります。これを国際分業といいます。

比較優位の欠点

比較優位の欠点として、それぞれの国が得意な業種ばかりに特化すれば富が特定の国家に偏在してしまうことがあげられます。

国家単位で格差が生じてしまうのです。工業製品の生産が苦手な国は、いつまで経っても工業後進国のまま技術革新が進みません。また、農産物の生産は気候などの影響をもろに受けてしまうため、特定の農産物に特化している国は常に大きなリスクを抱えるはめになります。

国家の状況によっては、自国内の産業育成・保護のために、保護貿易(関税など国家の規制)が望ましいケースもあります。

世界はWTOを通じて自由貿易の方向に向かっていっていますが、単純に保護貿易が悪で自由貿易が善という風に片付けられる問題でもありませんので注意が必要です。

参考文献-初歩の経済学

国際収支

国際収支一定期間における国の対外経済取引を記録したものを国際収支統計といいます。

対外経済取引には、財・サービス・所得の取引、対外資産・対外負債の増減に関する取引、移転取引などが含まれます。

国際収支統計は世界の多くの国においてIMF国際収支マニュアルに基づいて作られていますので、各国の経済取引状況や対外債務(債権)状況を比較するために用いることができます。日本では財務省および日銀が作成しています。

国際収支は大まかにわけて、経常収支、資本収支、外貨準備増減の三つです。

経常収支

経常という言葉は、平常に近いです。毎回そんな大きく違わないといった意味になります。比較的変動が少ない項目に冠されることが多いです。

経常収支には、貿易収支、サービス収支、所得収支、経常移転収支が含まれます。

貿易収支

商品の輸出入を示します。

サービス収支

運輸・保険・旅行など、貿易外のサービスの取引による収支です。金融や情報(ニュースサービスなど)、特許権使用料などもこれに含まれます。

所得収支

外国への出稼ぎによる給与の受取などは所得収支として計上されます。海外投資による配当金収入などもこれに含まれます。

経常移転収支

出稼ぎ外国人の母国への送金、海外留学生への仕送り、政府間の資金援助などによる収支がこれです。

資本収支

資本収支は、投資収支、その他資本収支から成ります。

投資収支

経営の支配を目的とした国外への直接投資(原則として出資比率が10%以上)や、証券投資、デリバティブなどの投資がこれに当たります。

その他資本収支

固定資産の取得や処分などの取引による資金の移転などがこれにあたります。その他、あらゆる資金の動きはここで計上されます。

外貨準備増減

外貨準備とは、日銀や政府など金融当局が外貨(国外の通貨)を持つことです。保持している外貨の量を外貨準備高といいます。

この政府管理下にある対外資産の増減がここに計上されます。

外国為替市場における政府の市場介入や、外国債の利子の受取、円高により外貨の価値の減少などによって増減します。

  • 外貨準備高 増える = 資金の流出なのでマイナス表記
  • 外貨準備高 減る  = 資金の流入のためプラス表記

参考文献-初歩の経済学

外国為替

為替レート外国為替とは、通貨の異なる国家間での賃借関係を、現金輸送を行わずに為替手形や送金小切手などの手段によって決済する方法のことです。

外為(がいため)などと呼ばれます。(英語ではforeign exchange,forex,FX)

異なる通貨同士の交換比率を外国為替相場(為替レート)といいます。

為替レート

円高・ドル安という言い回しをニュースなどでよく耳にすると思います。

これは円の価値がドルに対して上がり、逆にドルの価値は円に対して下がるという意味です。具体的に見てみましょう。

たとえば1ドル100円だったのが1ドル90円になる。これが円高ドル安です。

1ドルの缶ジュースは今まで100円で買っていたのですが、今は90円で買うことができるようになったわけです。つまり円の価値が上がる=円高、ということですね。

次は貿易と為替レートの関係を見てみましょう。

輸出

たとえば日本のとある会社が一台100万円で自動車を売っていたとします。為替レートが1ドル100円なら、その自動車は一台1万ドルの価値を持つことになります。

これが1ドル90円、つまり円高になると、100万円÷90円で、約一万一千ドルになります。アメリカから見れば、その自動車は千ドル高くなるということです。

これは一見自動車の価値が上がってウハウハな感じもしますが、現実的には高くなると売れなくなります。以前と同じ性能で値上がりすれば購入者が減るのは当たり前といえます。

逆に、1ドル110円になれば(円安)、アメリカに対して一台9000ドル程度で売れるようになりますから、以前よりたくさん売れるようになります。

まとめると、一般的には円高は輸出企業に不利に働き、円安は有利に働くということになります。

輸入

輸入はこの逆です。日本は現状広く利用されている資源に限って言えば資源小国ですので、多くの資源を外国から輸入しています。

円高になると、いままでと同じ金額でより多くの資源を輸入することができるようになります。逆に円安になると、外国の保有する資源の価値が上がります。このように円高は輸入企業に有利に働き、円安は不利に働くのが一般的といえます。

円高は、国内向け製品を扱っている国内企業にも間接的に影響を与えます。

たとえば、国産の液晶テレビが国内でだいたい1万円で売られており、外国製品もほぼ似通った値段だとします。ここで円高になると、外国メーカーは値下がりし、価格競争力が高まることになります。

こうしたことが続くと国内メーカーのシェアが減り続け、国内産業の衰退につながるという懸念があります。

参考文献-初歩の経済学

第二次世界大戦前の国際経済

ブロック経済1929年、アメリカから始まった世界恐慌(深刻な景気後退)はそれまでの国際社会が経験したことのないものでした。

当時の先進諸国は輸出でこの難局を乗り切ろうとしました。外国為替のページでも述べたとおり、輸出中心なら自国通貨を切り下げる方向に持っていくのがベターですから、通貨の切り下げ競争(ダンピング)がおきました。

ブロック経済

ブロック経済とは、植民地を抱え込み自国の勢力圏をブロックとして関税障壁を張り巡らし、他のブロックへ需要が漏れないようにする経済体制のことです。

ブロックは通貨圏ごとに別れる格好になりましたが、ブロック化の影響で世界の貿易額は最盛期の6割まで落ち込み、植民地を持たない国は国家存続の危機にまで追い込まれることになります。

イギリス・ポンド圏(スターリングブロック)

旧大英帝国の植民地

アメリカ・ドル圏(ドルブロック)

南北アメリカ大陸

フランス・フラン圏(フランブロック)

いくつかのアフリカ諸国

日本・円圏(円ブロック)

日本、満州、シナ円ブロック構築を目指し、大陸に進出

日本と同じく後発の資本主義国であり植民地に乏しいドイツ、イタリアは自国通貨圏の勢力拡大を目指し、膨張政策へと転じます。

植民地を持っている国と持っていない国の二極化は第二次世界大戦勃発の要因となりました。

ブレトン・ウッズ体制

ブレトン・ウッズ体制ブレトン・ウッズとは、アメリカのニュー・ハンプシャー州の北部にある町です。

第二次世界大戦終盤の1944年7月、連合国は通貨金融会議を行い、国際金融機構に関する協定を締結。1945年に発行しました。その内容は以下のとおりです。

ブレトン・ウッズ協定

1929の世界大恐慌に起因するブロック経済、為替ダンピング競争が世界大戦を招いたということは誰の目にも明らかでした。大戦により世界経済も大きなダメージを負い、混乱状態だったため、新たなルール、体制を作る必要がありました。

IMF(国際通貨基金)、IBRD(国際復興開発銀行)の設立とあわせて、これらの機関を中心とする体制をブレトン・ウッズ体制といいます。

IMF

IMF(International Monetary Fand、国際通貨基金)は通貨と為替の安定を目的とした国際連合の専門機関です。アメリカのワシントンに本部を置いています。

上述のブレトン・ウッズ協定によって戦後復興の一環として設立されました。簡単に言うと、国家を客とした金貸しです。

IMFは加盟国の国際収支が悪化した時に融資を実施し、国際貿易の促進をはかり、加盟国の失業率の改善や為替の安定などに尽力します。加盟国の中央銀行の取りまとめ役のような存在です。

設立に際して、経済学者のケインズ(イギリス)と政治家のハリー・ホワイト(アメリカ)が大きく関与し、ケインズはIMF総裁となりました。

IBRD

IBRD(International Bank For Reconstruction and Deveropment、国際復興開発銀行)は、ブレトン・ウッズ協定によって設立が決まった国際金融機関です。アメリカのワシントンにその本部をおきます。1947年以降は国連の専門機関となり、1960年に設立された国際開発協会と合わせて世界銀行と呼ばれます。

もともとヨーロッパの戦勝国向けに復興資金を援助するために設立され、非常にゆるい条件で貸付などが行われていましたが、復興が終了した後は発展途上国への開発資金援助に特化するようになりました。

プロジェクト単位で融資を行うことが多く、民間の機関に貸付が行われることがIMFとの相違点です。世界銀行の総裁はアメリカ出身者が就任することが暗黙の了解となっており、副総裁に日本人(服部正也)が選任されたことがあります。

ブレトン・ウッズ体制

当時、世界のGDPの4割、世界の金保有の7割をアメリカが占めていました。連合国の首脳は、為替ダンピング競争を避けるという名目で

  1. {各国通貨をドルと固定相場で結びつける}
  2. {金(きん)を一オンス(およそ31g)35ドルで交換できる}

ように取り決めました。

世界各国の通貨は金と直接的は結びつかなくなりましたが、ドルを通して間接的に結びつくという格好になりました。IMFはこの固定相場制を維持するために創立され、為替相場の安定に尽力します。

また1947年には、関税の引き下げと輸出入制限の撤廃を目的としてGATT(関税および貿易に関する一般協定、General Agreement on Tariffs and Trade)が発足されました。※1995年にWTO(世界貿易機関)が設立され、GATTはWTO協定の一部(通称1994年のGATT)として改正(解消)された。

ニクソン・ショックとプラザ合意

プラザ合意ブレトン・ウッズ体制は、米ドルを基軸通貨として為替の安定・自由貿易の推進により世界各国が相互に発展することを目指していました。

日本が奇跡的な経済成長を見せ、西ヨーロッパも順調に復興すると、国際競争力が相対的に上がっていきます。世界各国は輸出によって稼いだ米ドルを金にどんどん換えていきます。

一方アメリカは世界の警察として多くの軍事費を投入し、また共産圏の拡大を防ぐために発展途上国への経済援助費を増やしていきます。

多国籍企業は米国外へ投資をつづけ、膨大な米ドルが世界中に流出し、これらのドルも金に交換されました。

結局アメリカの保有していた金(ブレトンウッズ体制当初、世界の7割とも言われていた)は、大量に国外に流出し、金ドル交換の不安が叫ばれるようになりました。1960年代にはしばしばドル危機の声が高まり、ゴールド・ラッシュと呼ばれる金への投機が活発になる現象が起きました。

ニクソン・ショック

1971年8月15日、アメリカ大統領チャールズ・ニクソンは、それまでの固定比率によるドルと金の交換を停止することを突然発表します。これは、ブレトン・ウッズ体制の崩壊を意味しており、国際金融の大幅な枠組みが変わるきっかけとなります。

この発表はアメリカ議会もしらなかったため、ニクソン・ショックと名づけられドル・ショックとも呼ばれます。

金との交換停止だけでなく「10%の輸入課徴金(輸入品に対して徴収される特別の関税や付加税のことです。輸入制限にもなります)の導入」なども同時に発表されました。

※ほぼ同時期(一ヶ月前)に発表されたニクソンによる中国訪問宣言と一連の北京での外交活動も合わせて、ニクソン・ショックと呼ばれます。中国訪問が第一のニクソンショック、ドル金交換停止宣言は第二のニクソンショックとされます。

スミソニアン協定

ニクソン・ショック後、同年12月にワシントンのスミソニアン博物館で各国の蔵相による会議が開かれます。

この会議でドルと金の固定交換レートは引き上げられ、ドルと各国通貨との交換レート改定が決定されます。このとき1ドル360円から1ドル308円へと円が引き上げられました。(通貨の切り上げ幅は日本が最大で、半ば強引に決められたといわれています。)

スミソニアン協定によってドルは大幅な切り下げとなり固定相場制は維持できたのですが、アメリカの貿易赤字は結局ふたたび増大。固定相場制への信頼はどんどん下がっていき、1973年には主要国ほぼ全てが変動相場制へ移行しました。

変動相場制

変動相場制とは、外国為替市場における通貨の需要と供給にまかせて為替レートを自由に決める制度のことです。フロート制ともいいます。

変動相場制移行後も、1970年代後半はドル安が続き、1ドル170円近辺まで円高ドル安となります。1980年代にはレーガン大統領により人為的なドル高政策が行われます。アメリカの長期国債には20%近い金利がつき、各国の機関投資家たちは群がるようにこぞって米ドルを購入しました。

ドル高政策により、アメリカの輸出は減退、貿易赤字は膨大な金額に達しました。レーガン大統領の一連の政策はレーガノミックスと呼ばれ、スタグフレーションからの回復を目指していましたが、急激な軍事支出の増加と減税は深刻な財政赤字と累積債務を生む結果となってしまいました。(※ただし、高金利により民間投資は抑制されインフレからの脱却には成功)

プラザ合意

プラザ合意とは、1985年アメリカのニューヨークにあるプラザホテルで行われたG5(日米英独仏)の蔵相・中央銀行総裁により発表された、為替レート安定化に関する合意のことです。

ドル危機の再発を恐れた先進国は、協調的なドル安へ誘導することで合意しました。アメリカの対日貿易赤字が著しかったため、実質的には円高ドル安を誘導する内容だったといえます。発表の翌日にはドルは1ドル235円から20円下落し、一年後には1ドル150円台となりました。

日本では、急速な円高による不況を阻止するために低金利政策が継続的に採られるようになります。この低金利政策は不動産や株への投機加速につながり、後のバブル景気の要因のひとつとなります。

ルーブル合意

ルーブル合意とは、1987年2月、フランスのルーブル宮殿でG7(G5+カナダ、イタリア)によってドル安の行き過ぎを是正するためになされた合意のことです。

しかし各国の同意がじゅうぶんではなかったためかドル安は止まらず、1995年には一時的に1ドル80円を切ることもありました。

為替レートを動かす要因(変動相場制)

ジョージ・ソロス変動相場制とは、外国為替市場における外貨の需要と供給の関係に任せて為替レートを自由に決める制度のことです。円がたくさん買われれば円高になり、ドルがたくさん売られればドル安となります。

変動相場制が採用された当初は、変動相場制は自動調整メカニズムを持つと思われていました。

たとえば、日本は輸出で稼いだドルを国内で使うために円に換える必要があります。ドル売り円買いです。すると円は買われて高くなりドルは売られて安くなるので円高ドル安となります。円高になれば輸出に不利となり、貿易黒字は抑制される・・・といった具合です。

しかしアメリカは現在でも貿易赤字国であり、日本は貿易黒字国のままです。この原因に関してはさまざまな説がありますが、未だに議論のさなかにあり、理由はこれだという風にはっきりしていないようです。

※ちなみに貿易黒字が国家にとってよいもの、赤字が悪いものという単純な話でもありませんので注意が必要です。

為替レートを動かす要因については以下の説が有力です。

購買力平価説

この説が最も標準的だといわれています。「為替レートは、最終的には外国通貨と自国通貨の間の購買力の差で決まる」という考え方です。

たとえば、アメリカではボールペン一本2ドル、日本では100円だとします。このとき2ドルと100円は同等の価値、つまり為替レートは1ドル50円になるように動き、均衡する・・・という考え方です。

「財やサービスは自由に取引が行われる市場では同一商品に同じ価格が付く」という一物一価の法則のもとに成り立っています。

ファンダメンタルズ論

ファンダメンタルとは基礎的事項という意味です。マクロ経済において雇用・生産・物価などの基本的な事柄を指します。

「各国のGDP成長率や失業率、インフレ率を比較してそれらが良好な国の通貨は買われ、不調な通貨は売られる。国家の経済の総合力で為替レートが決まる」・・・という考え方です。

需給バランス論

通貨の需給を重視する考え方です。通貨の需要と供給で大きく為替が変動すると考えます。

アセット・アプローチ

金利の差と安全性が資金(資産としての通貨)の移動を促すという考え方です。

お金は金利の低いところから高いところに流れます。日本が金利を上げて日米の金利差が縮めば円は積極的に買われるようになり、ドルは売られるようになります。

また、軍事的な緊張関係が高まればドルが買われてきたという背景も手伝って、通貨は安全性で買われるという説です。(「有事のドル買い」などといわれました。)

しかし、テロの時代となりつつある昨今では、リスクが高まると逆にドルが売られるという現象が起きているようです。

ソロスの再帰性理論

ジョージ・ソロスはヘッジファンドのリーダーで、デリバティブを駆使して空前の利益を生み出し続けた史上最強の相場師です。彼の理論は難解です。

再帰性とは繰り返し当てはめることのできる性質のことです。たとえば、絵を描く人がいて、その人をさらに描く人がいて、さらにその人を描く人が・・・といったようなことです。

ソロスいわく、「市場は予測者が予測する事象に影響を及ぼします。つまり予測者が予測するという行動そのものが市場に影響を与える。そして、市場は一方向へのバイアス(偏り)を持っているため、いったん一方向へ流れ始めればいずれ雪崩のように動き出す。」

ソロスは自らのこの考え方を基に、ポンドをはじめさまざまな国の通貨を暴騰・暴落させました。ソロスをはじめとする莫大な利益を上げ続けたヘッジファンドは、市場は何者にもコントロールできないというそれまでの経済学の定説を改めさせました。